家庭婦人連盟20周年記念誌「平川会長の記事」

まずは、創立20周年おめでとうございます。
この記念誌の最初のページにお祝いの言葉を載せろといわれて、正直いって、私自身そのような立場におかれる存在ではないと思っていますのでご辞退申し上げました。なんですが、このぺーじは20年間ずっと深く係わっていた者が担当するのだ、といわれたので、家に帰ってから、おのれの姿を鏡に照らして、じっと見つめてみました。そこには、我が思いとは別な姿が写っていました。残念ですが、もはやそんな年齢なのかなぁ、と観念し、身のほどを省みずお引き受けした次第です。
 原稿を頼まれて過去を振り返ってみますと、家庭婦人連盟を作った頃のわたしは国分寺のバドミントン協会の組織のど真ん中にいました。そんな関係もあって、市の体育行政のお手伝いをしたり、バドミントンスポーツ少年団を作ったり、一生懸命働いていたようです。年齢も30歳台の働き盛りだったことになります。
 そのころ、市と協力してバドミントンの初心者講習会を実施し、その受け皿として受講した方々にクラブを作っていただきました。その後、講習会を行う都度、地域のクラブに移行してもらうように計らい、今の「スワン」「けやき」「やよい」が誕生したのだと記憶しております。また、ずっと後になって別なかたちでできた「ロビン」も加わりました。
 国分寺市の家庭婦人連盟の組織は、20年間に渡って歴代の役員の努力のおかげで他の市に誇れる高いレベルを保ち、健全に、しかも順調に運営されていることに敬意を表し、また、心から嬉しく思っております。
 今後とも、皆様の組織と会員の方々の更なる発展を祈願してお祝いの言葉といたします。(平川 卓弘 1998年)

スワンクラブの記事を紹介(1998年)

●私のコメント(2020/8/15)
家庭婦人20周年から今年2020年で22年が経ち、40周年が過ぎています。私もおじーちゃんになりました。
きっと、もとスワンの人たちはどこかで頑張っている事でしょう!そして当時の「スワンの子」たちは成長して活躍していることでしょう!
いつかどこかで、スワンの人たちと、もう一度コートでゲームができるよう、私も練習して頑張りたいと思っています。

20周年記念誌に載っている各クラブの写真