スワンコーチの想い出

1976年平川コーチのバドミントン講習会の有志が講習終了後にスワンクラブを作りその年の7月に産声をあげました。
その時に、何故か平川コーチの助手を務めた私がスワンクラブのコーチに任命?されたのです。
私はリオンに途中入社(1974年)してすぐの25歳からバドミントンを始めた初心者だったので不安を抱えながらの承諾でした。
スワンのメンバーも初心者が多く実力差も大きかったので、指導に苦労した記憶があります。
まずは基礎体力作りからで、ストレッチ、腹筋・背筋・腕立て伏せ、ダッシュ走、フットワーク、3分ノックなどを行いました。基礎打ちに時間をかけて、全体のレベルアップに勤めました。
そして、いつもの悩みは、大会のペアを決めることでした。確かに強いもの同士で組めばいいのかもしれませんが、全体のレベルを上げるために、毎回試合のペアはコーチが決めていました。
しかし、それでは実力が発揮できないこともあり、徐々にペアを固定することもありました。
たぶん、私がコーチを辞める頃はペアも固定することが多くなっていたと記憶しています。

コーチとバドミントンを辞めてから

私は26歳からスワンコーチを約25年続けたと思いますが、スワンを辞めてから今年(2019年)で約20年位は経っていると思います。
55歳頃にリオンバドミントン部を辞め、バドミントンの練習も辞めて、仕事、自転車競技スタッフに専念しました。
そして、2009年リオンを定年退職し、ピークル計測を一人で起業しました。なぜかその仕事が大当たりで年100大会の受注を頂き、全国を飛び回ることになりました。そのため運動不足と仕事のストレスから身体を壊す結果になりました。

狭心症とヘルニアでもバドミントンを復活

昨年2019年元旦に自宅で心筋梗塞で倒れ救急入院をしましたが、3回のカテーテル手術により復活することが出来ました。
ヘルニア1か所と脊柱管狭窄2か所は40歳後半からの持病で、直る見込みがないため、毎日腹筋と背筋運動(各50回)を継続して腰の筋肉でカバーしています。しかし、バドミントンでは腰をハードに使うので、バック側のオーバーハンドは苦戦しています。
2019年から、「ピークル計測」の仕事を後継者に譲り、徐々にフリーになったので、運動不足を解消するためにバドミントンを再開することにしました。2019年夏から70歳で15年振りにラケットを振りましたが、空振りとフレームショットで散々でした。さらに筋肉痛とふくらはぎの炎症で苦戦しているきょうこの頃です。

コロナ禍とバドミントンの練習

2019年夏から府中市の体育館めぐりをして、バドミントンの練習ができるクラブや団体を探しています。
月曜=南白糸台小学校(夜間)、火曜=栄町体育館、水曜=本宿体育館、木曜=日吉体育館or白糸台体育館(木曜会)、金曜=白糸台体育館(たんぽぽ)、3小(夜間)、9中(夜間)、土曜=本宿体育館(土曜会)
ところが、コロナ禍で今年2020年の春から練習が限定されています。特に学校の体育館(夜間)は使用ができなくなっています。
したがって、週4回ほど市の各体育館にお邪魔して、ビジターで練習を再開しました。
いつも、こんなお年寄りのお相手をしてくださる元気な皆様に感謝感謝です。

いつかスワンでゲームができる日を目指して?

60歳と70歳の2回目の退職を機に、健康のためにバドミントン練習を再開したが、プレーする選手を見ているうちに、なぜかスワン時代のコーチングを思い出していた。あっ!バックハンドの打ち方が悪いとか、フットワークがダメだとか・・・目についてしまうのです。
そんなことを思いながら、自分は今のスワンに通用するのかなー?なんて思うようになった。もっと練習してスワンでゲームが出来るように練習を頑張ろうと思うようになってきた・・・。